債務整理のヒントを探る

私自身の「尊厳」については相応の考えをもっているが、それを他人に強制し、医師にその処置を求めることに若干の抵抗をもっているからである。
尊厳死について、私がもっているためらいとは次のような体験によっている。
私の父は昭和五十九年二月に肺がんと診断された。
七十五歳であった。
このとき、本人にがんの告知はしなかった。
医師の話では余命は数カ月ということだった。
手術をする体力もなく、加えて腎臓などにも転移している疑いがあるとのことだった。
ところが、医師たちが新しい抗がん剤を用いたり、本人もまた生きることへ強い意欲を見せていたために、症状は進行しなかった。
三カ月後に大学病院を退院したあとは、家で読書をしたり、散歩をしたりと元気を取り戻した。
だが、五カ月ほじて症状が悪化し再び入院することになった。
医師たちが抗がん剤や鎮痛剤を用いて治療にあたったためか、症状は一進一退をつづけた。
私はときに入院先の札幌の大学病院に見舞いに行ったが、表面上は意外に元気であった。
しかし、昭和六十年五月から症状は悪化し、痛みが襲うようになり、鎮痛剤などでそれを止めていた。
ときに本人には幻覚や幻聴があらわれた。
六月に入って看病をしている母親から突然連絡があり、至急札幌に来てほしいといわれた。
私は、もう臨終なのかな、と思って枕元に駆けつけた。
夕方、私と二人の弟がやはり東京から駆けつけて、父親の枕元に立った。
それを確認したうえで、父は次のようにいったのだ。
「私の病はもう治らないと思う。
私はもう覚悟をしている。
そこでお願いがあるが、三人で医局に行って主治医の先生に、もう治療はしなくていいといってほしい。
私にとって、これまでの治療には感謝しているし、これで充分だ。
これ以上は私の意に添わない」私たち兄弟は、「そんなこといわずに頑張ってほしい」と励ました。
父は譲らず、「三人で先生に伝えてほしい」とくり返した。
結局、私たちは父親の申し出を受けなかった。
主治医には伝えなかった。
父はその後、意識が途切れることが多くなった。
意識のあるときも食べ物を一切口にせず、言葉も口にしなかった。
ただ、もういちど三人を呼んで主治医に自分の意思を伝えてほしいと二、三回くり返したという。
七月二十日に父は死んだ。
父は旧制中学の数学教師、そして高校の教師をつづけた。
あまり感情に溺れるタイプではなかった。
死を静かに受容するタイプだったように思う。
私は、父の死後、父の申し出を受け入れなかったことに負い目をもった。
あのとき父は、確かに消極的安楽死を望んでいたのである。
つまり自らの尊厳を守るために、治療の中止を求めたのだ。
死後、その荷物を整理してみると、書き置きがあり、それには「自分は人間倒れるところに青山ありと思って生きている。
無用の延命は避けたい」という意味のことが書いてあった。
本人が尊厳死を望んで、その意思を表示しても実際には家族はそれを安易には受けいれられない。
私の心底にあったのは、「私が父の申し出を受けいれるのは、私が父を殺したことにならないか。
やはり医師が最後の段階まで努力し、もう救命はできませんというまで待つべきではないか」という問いだった。
父はそれほど苦しんでいたようには見えない。
死後、父の遺体はその意思で解剖されたが、医師が「相当痛みがあったと思いますね。
でも耐えていたのでしょう」といった。
激痛に苦しむ様を人に見せまいとしていたことがわかった。
私は、まだ父の尊厳がそこなわれていたとは思わなかったが、父にとってはすでに自分の生は自らの意思に反すると思っていたのであろう。
私は、尊厳死や安楽死を考えるときに、いつも父とのあのときのやりとりを考える。
そして、私は私の態度は果たしてよかったのか悪かったのか、と考える。
正直に告白すれば、私は結論がだせないのだ。
もし私が尊厳死を望むとして、そのような軍古書に署名をして残したとする。
それを私の入院した医療機関の医師や私の家族がどのように判断するか、私の意思を守ってくれるか否かに自信はない。
日本尊厳死協会の宣言書には、「私の(宣言による)要望に従って下さった行為一切の責任は私自身にあることを附記いたします」とある。
尊厳死する患者はそれでいいとしても、残された他者の心の痛みをどのように解決していくかに思いを馳せなければならない。
そして実は、この問題をのり越えるには、尊厳死を諒解しあえる社会的風土がつくられていかなければならないということなのだ。
社会での諒解づくりは、表面上の統計を見ると確かに口本でも進んでいる。
たとえば、平成同年五月に読売新聞が行なった全国世論調査の結果がある。
この結果を報じた読売新聞の見出しは、「深まる尊厳死への認識」であったが、内容は事実その見出しどおりである。
「尊厳死に関心がある」という回答者が七九パーセントを占めている。
さらに「不治、末期患者の尊厳死容認」には八六パーセントという高い回答がでている。
関心の高さは男女に関係がなく、どちらも八〇パーセント前後になっている。
とくに関心の高い智は、四十歳代が八四パーセント、三千歳代はヒ九パーセント、六十歳代は七七パーセント、二十歳代はヒエハパーセントだという。
職業別では、管理・専門職は八八パーセント、事務・技術職は八三パーセントとなっている。
ただしこの回答は、一般的にいってそう考えているということで、実際に自らがそのような状況になったらどうするかという質問では、少々ニュアンスが異なっている。
「仮にあなたが回復の見込みのない病気で末期医療を受けているとしたら尊厳死を選びたいと思いますか」この質問に対する回答は、「選びたい」が七三・五パーセント、「選びたくない」は一四・五パーセント、尊厳死を認めても、自らの場合は認めないという層がかなり存在している。
総論賛成、各論反対ということになるのだろうが、このギャップが今後広がっていくのか狭まるかが、社会的容認が早いか遅いかの分かれ目になるだろう。
この調査結果から窺えるのは、尊厳死という語とその意味する内容が、理解されてきているという事実だ。
私のように総論では認めても、各論ではさまざまな煩悶をもつ人たちが多いというのが現実であろう。
理解はしていても諒解までには至らないのである。
一方で、社会的容認に拍車をかけつつあるのが、日本医師会の動きである。
平成二年に日本医師会は会員の医師たちのアンケートをとったことがあり、その中に「末期医療で患者からリビング・ウィルを示されたらどうするか」という質問があった。
八七パーセントの医師がその意思を尊重すると答えている。
もっとも、尊重するという回答とそれを現実に行なうというのは別次元であるが、それでも尊重しなければならないとの意識はもっている。
日本医師会の生命倫理委員会は、平成四年三月に「末期医療に臨む医師の在り方についての報告」を発表した。
この倫理委員会では末期医療に医師がどのように対応するかを研究していたのだが、延命医療のみを追求する現在の医療倫理では現実に患者の要求に対応できないのではないかという考えがスタートになっている。
この場合の末期医療とは、「患者が近いうちに死ぬことが避けられない病気や外傷で、おおむねししハヵ月以内の期間」の医療をさしていて、そのときに医師は「どのような対応をすべきか」という点に主眼点が置かれた。


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